人生について

2019年10月 2日 (水)

3年前のこと

明日10月3日は、3年前に亡くなった母の命日です。

3年も経っているのに、あの日のことは今でも鮮明に覚えています。
ブログの記事に残してたから余計に覚えているのかも?

ブログを読み返してみると、記憶がどんどん蘇って・・・。



溯ること3年前。
2016年10月3日の早朝。

和室の部屋には、おいらと介護ベッドに横たわる母さんと二人だけ。
母さんは、意識は朦朧としているが、呼吸は荒く苦しそう。
懸命に生きようとしているのがわかる。

おいらは、何も出来ずにその姿をただ見守るだけ。

そこには、医者もいないし看護士もいない。
在宅介護を選択した時、覚悟は出来ていたつもりだけど、ちょっと心細かった。
母さんが、もうすぐ息絶えてしまうことが、容易に想像できたからだ。

その時のおいらの気持ちは・・・。

「もう少し、がんばってくれ!」っていう気持ちと、「もういいよ、早く楽になってくれ!」っていう気持ちが、複雑に絡み合っていたように思う。


そして・・・。

母さんの、苦しそうで荒い呼吸が、止まった。

死んだ?

そう思った数秒後、息をふきかえす。

呼吸が止まったり復活したり。
それを何度か繰り返すのだ。

人の生命力ってすごいなぁ。
おいら、何故か冷静だった。


そして・・・。

「うっ!」と言う唸り声をあげて、また呼吸が止まった。
数十秒待ってみたものの、こんどは息を吹きかえすことは無かった。

母さんの人生が、終わった。

それは、おいらが、人の死と初めて向き合った瞬間でもあった。


その時、おいらは、ドラマのように大声で泣き叫ぶでもなく、不思議と涙も出なかった。

それより、これからどうすればいいんだ?
そっちの方が気になっていた。

とりあえず、事前に言われていた通り、医師に連絡しなきゃ。
それと兄にも。

兄より先に、すぐに医師がかけつけてくれた。
そして、母さんの状態を確認。

死亡が宣告された。


そして医師がおいらに・・・。

「よく頑張りましたね」と、声をかけてくれた。

その言葉で、急に涙があふれでた。
「ありがとうございます。」その言葉を発するのが精一杯。
あとは言葉が出ない。

おいら、母さんが闘病中
人前では、ずっと気丈に振舞ってきた。
人前では、ずっと涙を見せることは無かった。
でも、ついに堪えきれなかったのだ。

ただそれは、母さんが亡くなったことの悲しみの涙というわけでもなく、安堵の涙でもなかったような気がする。

病院を退院させられ、自宅介護に切り替えたこと。
そのことが、おいらの心にずっと重くのしかかっていたのだ。

結局、自宅介護を初めてたった2週間で、母さんを逝かせてしまった。
自宅介護は、おいらのエゴだったんじゃないか?
もっと病院にいさせてあげられれば、母さんは苦しまなくて済んだんじゃないか?

そんな想いがずっと有ったので、医師の一言で報われたような気がしたのだ。



あれから3年。
今思えば、とてつもなく辛い在宅介護をした2週間でした。

母さんは何も食べられ無かったけど、ちゃんと食事を用意して。
慣れないオムツ替えをして。
一生懸命に話しかけても、昔の母さんには戻らないもどかしさ。

そして、なんといっても在宅介護に入って、日々弱弱しくなっていく母さんの姿をみつづけるのが辛かった。
無理言って病院にいさせてもらった方が良かったんじゃないかな?
そんな葛藤もあってね。

母さんの本当の気持ちはどうだったのかな?
「最後は自宅で死にたい」一般的には良く聞く言葉だけど、それって本当なんだろうか?
母さんからは、一度も「最後は自宅で」なんて聞いたことなかったし。

最後は病院にいた方が、安心だったんじゃないのかな?
息子に介護をされるって、イヤじゃ無かったのかな?

それをずっと引きずってる。
今さら答えなんて出ないのにね。

じゃ、おいらはどう?
どちらかいうと病院で看護師さんに世話になって死にたいかな。

なんなの、その矛盾!
天国の母さんに、突っ込まれそうですが。(笑)

それにしても、3年なんて、あっという間。
過去のことより、そろそろ自分自身の心配をしないといけないかも。

おいらもそんなお年頃です。

明日は、お墓参りには行けないけど、バンコクから手を合わせます。

 


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2019年8月14日 (水)

ドライブ中に語り合ったこと

前回の記事で、友人と安曇野までドライブに行ったことを書きました。

Img_20190809_1102251

朝から晩まで友人と一緒にいたわけで・・・。

普段、一人で暮らしていると話し相手がいないので、言葉を発することも少なくなっている今日この頃ですが、1年分くらい話した感じでしょうか。(笑)

どんな話をしたかというと・・・。

昔の思い出話とか
健康の話とか
バンコクの話とか
政治の話とか
株の話とか
お金の話とか
これからの話とか

それはそれはたくさんの話をしました。
その中で、印象的だったことを、一つ二つご披露しましょう。



安曇野までの道程を地図で見ていたら、その先に「青木湖」って地名を発見。

おいら「青木湖って、聞き覚えあるんだけど・・・行ったことあるのかなぁ?」
友人「俺、行ったことあるよ スキーをしにね」
おいら「あれ?もしかして一緒に行った?」
友人「そうだったかも・・・」

ここから、どんどん記憶が蘇って・・・。

おいら「思い出してきた。お互いの会社の有志で合同でスキーに行ったことがあったよね。あれが青木湖だったかぁ?」
友人「そうそう、お前のカリブ(当時所有していた車)で、行ったじゃん!」
おいら「4WDを過信して、途中でスリップして事故りそうになったんだよね。あれは良く覚えてるわ」
友人「あれは危なかった!前の車に激突しそうになって、ギリギリで止まったんだよね」

さらにあれやこれやと、懐かしい話に展開です。

40年前の記憶。
まったく脳裏に無かったのに、友人との会話でどんどん鮮明になってきます。

懐かしいです。

友人とは中学生からの仲で、それぞれ別々の道を歩み、数年間連絡を取らないこともありました。
それでも、繋がっているのは、これもなにかの縁なんでしょうね。

若かりし頃の共通の思い出は貴重です。
まだまだ思い出さないこともたくさんあるはずなので、友人との何気ない会話を発端に更にいろいろ思い出すかも知れません。

昔のことをいろいろ話せる友人。
とても大切な存在です。



今後の話もたくさんしました。

友人は、まだ働いています。
でも定年を迎えて、今は再雇用です。
なので、給料は大幅に下がり、やりがいもかなり失せているようです。

それでも、働き続ける理由は・・・。

会社を辞める不安。
それも漠然としたものです。

おいらと同じで転職も一度もしたことが無く、ずっと一流企業の名に胡坐をかいてきたわけです。
そろそろ一歩踏み出さないと・・・。
そんな思いが、会話の中でひしひしと感じます。
たいした趣味も無く、会社一途な友人が今まさに帰路に立っているわけです。

もう働かなくてもいいんじゃない!
おいらは、そう煽りますが、どうも気持ちと行動が伴わないのが現状のようです。
まぁ、わからないでも無いですね。

おいらは、「バンコクで暮らす!」という明確な夢があったから思い切ることが出来ましたが、友人は何もないからね。

いつ思い切るか?
それとも、雇用契約が続けられる限り働き続けるのか?

「きっと、どこかで決断する時がくるから、それを気楽に待てばいいんじゃない。」
「何も起きなければ働き続ければいいしね。」

それが、おいらのアドバイス。

老後に趣味が無いって、普通の人には結構辛いことなのかな?
おいらは、ただぐうたらしているだけで幸せなんだけどね。

たまに、バンコク。
これがおいらの原動力。

おいら「バンコクに来る?」
友人「暑いんでしょ、暑いのは苦手なんだよね。」
おいら「じゃ、夏は北海道、冬は沖縄で暮らすのはどう?」
友人「それもいいね。」
おいら「いっそのこと、真冬に北海道で暮らすのはどう?冬の北海道で引き籠り、最高じゃん!」
友人「おっ、それいいかも。笑」

おいら、他人事なので好き勝手な事を言ってます。(笑)
老後暮らしの何らかのヒントになればね。



15時間半の長時間ドライブ。
他にもたくさんのことを話をしましたが、長時間ドライブでも会話が尽きない友人が持てたこと。
これが何よりも代えがたいことなのかも。

おいら、やっぱり幸せもんです。


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2019年7月24日 (水)

老後、どうする?

先日、61歳の誕生日を迎えました。
これで父親より長生きできました。
まずは、一区切りでしょうか。

それと、会社を辞めて5年、無職生活も板についてきた感じですかね。(笑)

会社を辞めるに当たって、まず不安だったのは資金面。
潤沢な資産があるわけでもないので、もし想定外の出費が発生したら・・・と。
まぁ、5年経って、出費がほぼシミュレーション通りに推移しているので、不安はかなり縮小しましたけどね。

それと働かない生活への不安。
18歳から56歳まで会社一筋だったので、それが無くなることで、心理面にどんな影響を及ぼすのか?また働きたくなるんじゃないか?
とかね。
結局これも稀有に終わりました。
何もせず毎日ゴロゴロしていても平気な性格に感謝でしょうか。(笑)

だけど、最近になって新たな不安が頭をもたげてきました。

それは・・・。

健康面!

腰痛が頻繁に発生するようになって、「う~ん・・・」です。
結局のところ、人生において「不安」って言うのは、いつも付いて回るもんなんだね。

不安が解消したと思ったら、また別の不安が表れて・・・。
不安がまったく無くなるのは、それは死ぬときなんだね、きっと。



先の日曜日、同い歳の友人と会ってきました。
友人とは、バンコクから帰国するたびに会う仲です。

友人は、今年の3月に定年を迎えたんですが、まだ同じ会社で働いています。
「働くのが好きなわけじゃないけれど、辞めてもね~。」
いつもそんな感じです。

それはそれでいいんだけど・・・。

話題が健康面に及ぶと、友人もおいらと同じような悩みを抱えてました。
腰痛やら糖尿病予備軍やら・・・。
他にももろもろと。(笑)
まあ、お互い歳だから、病気とも上手く付き合わないとね。

そんな話をしているうちに、だんだんと老後の生活の話に。

今はまだ、なんとか大丈夫だけど、体の自由が利かなくなったら、どうする?
お互いに独り身なので、この問題は切実です。
ぽっくりと死なない限り、誰かに介護をしてもらう日がいずれ来るわけだからね。

友人から
「どこか介護付きの有料老人ホームに入るしかないかな?」
「一緒のところに入らない?」
そんな提案まで。

おいら「まあ、いずれは考えないといけないかもね。」
結局、そんな話になっちゃうだよね。(笑)



ずっと永遠に、日本とバンコクの二重生活が出来るとは思っていません。
いつかは必ず終わりが来るわけで・・・。

でも、それがいつなのか?
急に訪れるかも知れないし、まだずっと先かも知れません。

とりあえず、どんな準備をしておくべきか?
そろそろ考え始めないとね。

介護付き老人ホームに入居。
あながち、無きにしも非ずかもです。

これからの課題として、じっくりと考えることにしましょう。

それにしても、人生って考えることばかりだね。(笑)


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2019年7月20日 (土)

従兄が死んだ・・・

兄のように慕っていた従兄が亡くなりました。
享年64歳。

昨日は、その葬儀に参列しお別れしてきました。
「大バカもんだよ、お前は!」
「母親より先に逝っちゃうなんて・・・」
そう言ってやりましたよ。

まだまだやりたいこともあったでしょう。
無念です。

人の命なんて、脆くて儚い・・・。
覚悟はしてたけど、なんかやりきれない。

今は喪失感でいっぱいです。

 


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2018年12月23日 (日)

リタイアシミュレーションと資産運用の話

先日、読者さんからコメントをいただきました。

今oinin様のブログを過去遡って読んでますが、(最近読者になった新参です)どのようなリタイアシミュレーションをなさったのか知りたいです。
もちろん!リタイアするまでの気持ちの踏ん切りやら迷い様々あると思います
私も本当に同じ考えでお金の金額の満足は人それぞれだと思いますが分相応に身の丈にあったリタイア生活に至るにはどれだけの資産の運用が必要なのか知りたいですねー

今日は、このコメントへの返答記事です。

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おいらがリタイアしたのは、今から4年前の56歳の時。
定年前でのリタイアですから、かなり躊躇しました。
だって、収入が一切なくなるわけですからね。

それでも思い切って会社を辞められた理由は・・・。

1.バンコク暮らしをする夢をずっと変わらずに持てたこと
2.会社に愛想をつかす出来事があったこと
3.資金面をシミュレーションして、リタイアしても何とかなると確信できたこと

この三つが絡み合ってのことです。
どれかが欠けていたら、56歳の時にリタイアすることは無かったと思います。

元々は、58歳でリタイアする予定でした。
元勤務先には役職定年っていう制度があって、58歳になると役職から離れます。
そのタイミングで会社を辞めれば誰にも迷惑がかからないかな?なんて考えていたんですよね。

でも、2年早めての退職となりました。
それは、ちょうど会社で耐えがたい事があったからです。
この出来事がおいらのリタイアを早めた一つの要因です。
あの時に何事も起こらなければ、58歳で退職したかどうかも微妙だったかも。
働くことは嫌いじゃ無かったですからね。
見えない何かに引っ張られた感じでしょうか。

リタイアが2年早まったことでの一番の不安は、やっぱり資金面のことでしたね。

なので、何度もシミュレーションをしました。
退職して路頭に迷うのだけは勘弁ですからね。

それでは、どんなシミュレーションをしたのか?
ご披露しましょうか。




シミュレーションの手助けになったのは、50歳の頃から付けていた家計簿です。

「バンコク暮らしのために、58歳までに3000万円貯めよう!」
そんな目標を立てました。
そのために、家計簿をつけて無駄遣いを止めることから始めました。

ゴルフを止めて、パチンコを止めて、タバコを止めて、最終的には車も処分。
何でもやり放題の放蕩生活から仙人のような暮らしに、180度転換しました。

結局、2年早くリタイアすることになって、目標の金額までは貯まりませんでしたが。(汗)

でも、おいらの生活費は毎月いくら必要なのか?
家計簿のおかげで、すでに明確になっていました。

不自由しない暮らしには、いくら必要なのか?
それを知ることが、とても重要なのです。

おいらの場合は、毎月25万円、年間300万円。
この金額を、目安としました。
将来のインフレ率とかを加味して、実際に使った金額よりもちょっと多めにしました。

あとは、年金額などの受給予定金額を加味して計算するだけです。

56歳~59歳
60歳~62歳(60歳から確定拠出年金と企業年金の受給)
63歳~64歳(63歳から老齢厚生年金の受給)
65歳~    (65歳から老齢基礎年金の受給)

こんな感じに区分して試算しました。
受給予定金額は年金定期便を参考にしてです。

そして・・・。

「リタイアを早めても、なんとかなりそうかな。」
そんな結論に至り、56歳でのリタイア決断です。

そして、リタイアしたら、あとは腹を括るだけ。

でも、まだすることがあります。
リタイア後もシミュレーションと違ってないか?
そのチェックです。

予想以上に試算の減りが早いと目も当てられませんからね。
今のところは順調に推移しているので、不安はかなり減少しました。



次に資産運用の話を少しだけ。


リタイアする前までは、資産運用にも一生懸命でした。
少しでも資産は増やしておきたいところですからね。

おいらが実際に手をかけたのは、FXと株式投資と投資信託です。
リーマンショックを経験したりして、浮き沈みの激しい時期でした。

今は、株はまだ若干保有していますが、FXからは一切手を引きました。
少しは稼がしてはもらいましたが、やっぱりリスクがありますからね。

今は、資産を増やすことより、資産を減らさないことを考えるようになりました。
だから、今はリスクの少ない投資しかしません。

キャンペーン狙いの国債の購入とかですね。
その方が精神的に気が楽です。

資産運用しながらのリタイア生活は、自信がある方以外は、おススメ出来ません。



最後に・・・。


お金、たくさん欲しいですよね~。(笑)

でも、おいらは今以上の贅沢な暮らしは望んでいません。
今の暮らしが継続できれば、それで充分なのです。

お金と同じくらい大切なものに気が付いたからね。

それは・・・。

日本とバンコクにいる友人たちです。
歳を取るにつれ、友人たちに助けられて生きているように思えてなりません。

彼らがいるから会社を辞めても寂しくなかったし、今の日本とバンコクの二重生活出来ているのも彼らのおかげ。
つくづくそう思う。

リタイアしての孤独、これはかなり辛いと思う。

だから、おいらは日本とバンコクを行ったり来たりするのです。
友人たちには感謝しかありません。



 

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2018年12月 3日 (月)

そう言いながらズルズルと働くんじゃないの?

昨日は、学生時代からの友人と食事をしてきました。
働いていた頃は、何年も会わないこともありましたが、リタイアしてからは日本に帰ってくるたびに毎度会うほどの仲です。

彼は、おいらと同い年の60歳独り身。
でも、まだリタイアしていません。
話を聞いてる限りは、仕事が楽しいわけでもなく、ずるずると働いている感じです。


以前は「60歳で会社を辞める!」って、ずっと言ってたんですけどね。
いざ60歳になってみると、中々踏ん切りがつかないようです。

どうもリタイア後の人生のイメージがつかめないみたい。
おいらみたいに海外生活に憧れを持っているわけでもないし、やりたいこともたいして無いようだしね。

う~ん、どうするんだろう?
「65歳まで働くの?」には、「それは無い!」って、言うんだけれど・・・。

「辞めるのは、62歳くらいかなあ?」だって。
でも、62歳になったらなったで、「あと1年」とか言いそう。

そのうち、会社も70歳まで働けるようになったら、そこまで働いてるんじゃないの?
なんかそんな気がする。

なんだかんだ言って、会社が、仕事が、好きなんだろうな~。

まあ、それも人生。
頑張って日本のために税金をたくさん払ってね。(^_-)-☆


 

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2018年4月 5日 (木)

銀行から勧められた投資信託なんだけど

預金口座を持っている三井住友銀行から電話がかかってきました。

要件は「保有中している投資信託の現状を説明したい」ってことと、「マイナンバーの登録をお願いしたい」ってこと。

保有している投資信託は、もう10年近くほったらかしにしているやつで、それなりに利益は出ています。
まあ、投資額は雀の涙ほどですが。

すでに状況は承知しているので、わざわざ聞きに行くことでもないんですが、こちらも暇だし
折角電話をかけてきてくれたんで、昨日に行ってきました。

保有している投資信託の話は、別に目新しいことは有りません。
すでに知っている内容でした。

だから、ほとんど雑談に終始です。

まあ、銀行からしてみれば、新たに投資をして欲しいもんだから、いろいろ話を振ってきますが、おいらはのらりくらりと、かわします。
そんな駆け引きは、嫌いじゃないです。(笑)

もちろん、魅力がある話であれば、乗らないことも無いんですけどね。

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三井住友銀行がおススメしてきた投資信託をひとつ紹介しましょうか。
それは、
「SMBC アムンディ プロテクトファンド 米ドルステップ 201803」って、商品です。

Img_20180405_0923071

この投資信託は限定商品なんだって。
「限定」って言葉に弱いおいらは、ちょっと前のめりに。(笑)


何が限定かと言うと、申込期間が2018年2月26日~2018年4月10日でFIXされていること。
申込期限が、残り少ない特別感?

それだけ?(笑)
何がおススメなの?

原資が100%保証されるんだって。
原資を減らしたくない人にとっては、リスクが限りなくゼロってことですね。

それと、運用がうまく行けば、プロテクト価格が上がっていくんだって。
だから「リスク無しでしょ!」って、ことらしい。

まあ、米ドル建てなんで、為替リスクはあるんですけどね。

ちょっと前のおいらなら、この話に乗っていたかもですが。(笑)

この商品の問題は、満期日が6年後ということ。
おいらが、もっと若ければ考えなくもないけど、今は6年も待ってられません。

死んじゃうかも知れないからね。
ってことで、お断りして帰ってきました。




最近、株取引を含めて、投資に興味が無くなってきたようです。
NISA枠も余してしまうほどです。

歳をとったせいかな?
独り身で、残す人がいないからだよね。

死んだ時に、葬式代と多少の御礼が残せれば、それでいい。
なんか、寂しいね~。(笑)

贅沢はいりません。
世間に迷惑をかけず、今の生活(日本とバンコクの二重生活)が、続けられるだけでいいのだ。

欲がどんどんなくなって行く。
若き日の、あのエネルギーはどこ行った?

「老いる」って、こういうことなのね。(笑)

 

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2018年4月 1日 (日)

「働きたくなるかも?」って、思ってたんだけど。

今日は4月1日、新年度の始まりです。

新入社員の方は、明日が初出勤かな?
きっと希望に胸を膨らませていることでしょう。

思い起こせば、42年前。
高校を卒業したばかりのおいら、母に買ってもらった真新しいスーツにネクタイ姿での初出勤。
初々しかったなあ~。
もう遠い昔のことです。

高校の先生からは・・・。
「3年間は止めずに働きなさい!」
「その3年間で、100万円を貯めなさい!」
そう言われて送りだされたのは、今でも鮮明に覚えています。

特に何をしたいわけでも無く、高校の先生に「この会社に行きなさい!」と、勝手に決められたレールに乗っかてしまった、おいら。
自分の意思はそこにはありませんでした。

結局3年どころか38年もの間、同じ会社にお世話になりました。
今さらながら、良く頑張れたもんです。


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そんな38年間勤めた会社でしたが、結局は定年までは勤めませんでした。

会社を辞める切っ掛けは、バンコク暮らしを実現させるため。
あまりに順風満帆だった会社員生活に、自らピリオドを打つのは、並大抵のことではありませんでした。

気持ちの揺らぎが、精神面に影響したりしてね。
今思えば会社を辞めることは、おいらの人生において最大の分岐点だったように思います。

38年間も働き続けて、いきなりの無職。
どんな気持ちになるのか?
それはそれは不安でした。

あの時は、漠然と襲い掛かる不安でしたが、冷静に考えると不安要素は、2つだけでしたね。

一つ目は、資金面。
貯金を切り崩しての生活に対する不安です。
この不安を払拭するために、何度もシミュレーションしました。

それでも、有り余る資産ではないわけで・・・。
最後はエイヤー!で。(笑)


二つ目は社会からドロップアウトする不安。
これは気持ちの面ですね。

働かないことに対して罪悪感が生まれるんじゃないか?
すぐに働きたくなるんじゃないか?
会社を辞めたことを後悔するんじゃないか?
そんな不安です。

これには、シミュレーションは出来ませんからね。
実際に無職になってみなければわからない。
だから、これもエイヤー!で。(笑)

で、実際に無職になって3年半。
今の気持ちは・・・。
「働くなんて真っ平ゴメン、もう働きたくない!」です。

自由気ままな今の暮らし方に、すっかり慣れてしまったようです。
社会からの疎外感も働かない罪悪感もまったく無し。

すべて取り越し苦労だったようです。

何かしら、したくなるかも?
なんて、思ったりもしましたが、今はそんな気もまったく起きず。
今の「ぐうたら生活」がすっかりお気に入り。

おいら、根っからの怠け者のようです。(笑)

でもね、この気持ちに至ったのは、長年の社会生活のおかげだと思っています。
おいら、会社を辞める時は、確かに会社員生活に未練がありました。
それが不安を増長させていたんだと思う。

満足な会社員生活だっただけにね。

でも今は・・・。
充分に働いたよな!
うん、頑張った!
その気持ちが、今の心のよりどころです。

やり切った感があってこそのぐうたら生活なのです。

ってことは・・・。
ぐうたら生活をやり切ったら、次のステージが見えてくるのかな?
その時はきっと、「もう死んでもいい!」そんな達観したレベルなんだと思う。

 

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2018年1月 8日 (月)

『老後迷子』な友人たち。あれ?おいらもか。

最初に断っておきますが、「老後迷子」なんて言葉はありません。
あくまで、おいらが作った造語です。

老後をどう楽しむか?
60歳間近になっても、迷っている人、見えてない人、見ようとしない人。
こういう人たちを総称して「老後迷子」と呼ぶことにします。


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おいらは只今59歳、今年の7月には還暦を迎えます。
今回の日本滞在では、たくさんの友人と会いました。
やっぱり同年代が多かったかな。


この年代が集まると、話題はだいたい決まってくる。
病気の話、介護の話、そして老後の話、これらの話は避けては通れないのです。(笑)

だけど・・・。

おいら今回会った友人たちは、まだ現役で働いています。
すでにリタイアしているのは、おいらだけ。

みんな老後のことは、あまり考えていないようです。
「老後、どうするの?」
そんな話題を振っても、明確なプランは誰も持っていないのです。

それよりも、みんな65歳までは働くことを考えている。
「みんな働くことが好きなのね~。」
そんな嫌味なことを言うと、とりあえず否定はするんだけどね。

資金面の不安から、働くことを選択している人もいます。
これはこれで仕方が無い。
「頑張って働いてね。」
これしか言いようがない。
不安を持ったままリタイアしても、絶対に楽しめないからね。

60歳で定年、あとはのんびりと第2の人生を・・・。
そんな時代じゃ無くなったんだね。

59歳の友人たち。
「会社員時代の何もかもを捨ててまで楽しめるもの。」
これが見つけられないと、中々踏ん切りがつかないみたいです。

本質は、やっぱりここか。



みんなと会って、改めて自分の老後のことも考えてみました。
今は日本とバンコクの二重生活を楽しんではいるけれど、その先にあるものは?


あれ?まだ何も見えていないじゃないか。
勢いで会社を辞めて、夢だった日本とバンコクの二重生活を始められた。
とりあえず、やりたいことはやれてるんだけど・・・。

このままでいいのか?
おいらは、いったい何をしたいのか?

友人たちと会って気が付いたわ。
おいらも老後のことなんて、何も考えていなかったんだって。

もう一花咲かせるか?
このままぐうたら生活を極めるか?

おいらもれっきとした「老後迷子」なのだ。(汗)

でも、迷うことって大切だよね。
迷って迷って結論を出せば、後悔しないはず。
だから、おいらはいつも迷ってる。(笑)

  

 

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2017年12月31日 (日)

大晦日、それは退職記念日でもあります

今日は大晦日、1年の締めくくりです。
そして、私の退職記念日でもあります。

なぜ大晦日を退職日にしたのか?
やっぱりキリがいいでしょ。(笑)

キリがいいって、結構大事。
退職後、役所等の煩雑な各種手続きに威力を発揮します。
たかがしれてますが(汗)

それと「会社が休みの日に退職したかった」ってこともあるかな。
退職日は会社に行きたく無かったんです。
お別れが苦手なもんで。

だから12月31日が一番都合が良かった。
最後の我ままを聞いてくれた会社に感謝ですね。

そして私はバンコクでその日を迎えたのです。

その時の心境は、ブログに綴っています。

退職前日の記事は、ここ。
退職当日の記事は、ここ。

読み返してみると、やっぱりナーバスでしたね。(笑)

あれから3年。
あんなに会社人間だったのに、今ではすっかりぐうたら体質が身についてしまいました。(汗)
そして、もう会社員時代のことを思い出すこともほとんど無くなりました。

時の経過は、ある意味残酷です。


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私の会社員生活は、一度も転職をせずに一つの会社に38年余り勤務できたので、居心地は良かったんだと思う。

だけど会社の辞め方は、感心できない辞め方だったと今更ながら思う。
形は円満退社ですが、気持ちは円満じゃなかったからね。

「終わり良ければ、すべて良し!」って、言うけれどまさにその通りだと思う。
いくら良い思い出がたくさんあっても、最後がまずければすべて台無しになってしまいます。

だから、38年間のうち37年間が良い思い出だったとしても、最後の1年の印象が悪ければ、それがすべて。

先日、元勤務先の忘年会に参加して、ようやくわだかまりが取れた感じかな。
それまで3年かかったってことです。

時の経過は、心をも癒してくれます。



話は変わりまして
2017年、みなさんはどんな年だったでしょうか?

私は、従兄が亡くなったり、友人の母親が亡くなったりで、悲しい出来事もありましたが、1年を通して健康で過ごせたので、まあ良い1年だったように思います。


健康が何よりですね。

「今年1年、あまり良い1年じゃなかったな~」って思う方もいることでしょう。
そんな方は、今日くらい良い1日にすることを考えましょう。

「2017年の大晦日、最高だったぜ!」って言って終われれば、それで良し。
何しろ「終わり良ければ、すべて良し!」ですからね。

これは、人生においても同じこと。
死ぬ間際「幸せな人生だったな~」って言えるように・・・。

それには、今までの生き方なんて、あまり関係ありません。
これからの生き方ひとつで、どうにでも変えることが出来るんだからね。

私も来年は60歳。
いよいよ還暦です。

折角この世に生を受けたわけで、これからの生き方次第で私の人生が決まります。

59年間は、あくまで序章、これからが総決算。
そんな想いで新年を迎えます。

今年1年、こんな独りよがりのブログにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
そして2018年もよろしくお願い申し上げます。

それでは、良いお年をお迎えください。
みなさんに感謝の気持ちを込めて。

  

 

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