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2017年9月12日 (火)

母の一周忌法要を終えて

先週の土曜日、母の一周忌法要を無事に終えました。
今回の日本への一時帰国の最大の目的が、この法要を無事に執り行うことでしたから、とりあえずホッとしているところです。

そもそも母の祥月命日は10月3日。
なので一周忌法要は、てっきり9月下旬ごろに執り行うものと思っていたんですけどね。
兄の都合や寺の都合もあって、だいぶ前倒しになってしまいました。

あれから1年かあ。
いろいろなことが思い出されます。


 

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思い起こすのは去年の今頃のこと。
母が病院を退院したのが、昨年の9月20日でした。

自宅でちゃんと母の面倒を見ることが出来るだろうか?
やっぱり不安でしたね。

それでも自宅に戻ってくれば、元気になってくれるかも?
そんな淡い期待を持っていたのも確かです。

退院に向けての準備も大変でした。
自宅のバリアフリー化、ベッドや車イスなどの介護用品の準備。
それに訪問看護や訪問介護の手配も。

なにせ初めてのことなので、ケアマネージャーに聞きながら進めていたっけ。

退院してからは、現実問題が盛りだくさん。
一番嫌だったのは、おむつ交換。
それでもやるしかない。

食事も悩みの種だった。
母はすでにほとんど食事が摂れなかった。
それでも少しでも栄養をとって欲しくて、あれやこれやと工夫して食べさせようと・・・。


でも食べれば吐いてしまう。
吐くって言っても、ほとんど食べていないので、吐き気だけが襲っている感じ。
その姿が、とても苦しそうだった。

食べたくても食べられないのか?
そもそも食べたくないのか?
それさえもわからなかった。

食事は雀の涙ほどしか摂れなかったけど、点滴で生かされていただけだけど、母はまだ間違いなく生きていた。

家に連れ帰ったときのこと。
「母さんの家に帰ってきたよ。わかる?」に、
「わかるさ~」って言ってくれた。

窓を開けて、ほったらかしだった庭をみせて。
「庭の手入れ全然してないや、雑草ばかりになっちゃったね。」にも、
「いいんだよ」って。

母は家に戻ったことを、ちゃんと理解していた。

でも・・・。

それからたった2週間で母は逝ってしまった。

死に際は、おいら一人だった。
苦しそうに荒い息を繰り返す母。
もう長くはないだろうと、おいらは悟った。

そして息が止まった。

その時おいらは、母にかける言葉が見つからなかった。
ここで母に声を掛けたら、せっかくあの世に向おうとしている母を呼び寄せてしまうようで・・・。
それが怖かった。

もう充分に生きたんだよね。
もう苦しまなくていいんだよ。

そんなことを心に思いながら・・・静かに母を看取りました。
あの静寂なひとときは、一生忘れることは無いでしょう。




あれから1年。

現実は思い出に・・・。
現実は今この瞬間だけで、明日になれば今日はもう思い出の中へ。

忘れてしまうこともあれば、一生忘れないこともある。
時の経過は残酷で、母との記憶も徐々に曖昧になってきている。

そんな時の移ろいを感じながらの一周忌法要なのでした。

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コメント

セントレアさん、はじめまして。新参者に温かいコメントありがとうございます。さっそくユマニチュード調べてみました。
見て、触って、語りかけ。。赤子を癒やすように接せるんですね。僕らも赤ん坊の時、そうやって育てられたんですもんね。。今度は、僕が母にお返しする番です。なにか肩の力抜けたような、楽なきもちになりました。ありがとうございました。又、これからoininさんの記事も楽しみにしてます。

>ヤスさん
こんばんは。
そうでしたか。今が一番お辛い時期ですね。
病院は病気を治すところで、治療の必要が無くなった段階で、退院を迫られますからね。
自宅か?療養病院か?受け入れてくれるところを探すのも一苦労です。
私の場合は、一縷の望みで退院させましたが、母のためにそれで良かったのか?やっぱりずっと悩みました。
「母が家に帰りたい」って言ってたわけでは無かったからです。
病院に居れば何か起こった時に母は安心なんじゃないだろうか?そんなことまで考えたりして。
正解がないだけに難しい問題ですね。
でも最終的に母の介護を自分でする覚悟をしました。それもすべて自己満足のためです。
「自分で出来るだけのことはしてあげよう。ずっと母のそばにいてあげたい。」そんな気持ちでした。
「何事においても後悔だけはしない」それが自分のポリシーだからです。
母の介護もそう、会社を辞めて今の生活を選んだのもそう。すべて自分が死ぬときに後悔しないための選択です。
私もヤスさんと同じ独り身です。
もちろん将来の不安はあります。病気になったらどうなっちゃうんだろう?ってね。
でもそのことは今は棚上げです。
「健康でいられる時間を大切にすること。」それしか有りません。
なんか支離滅裂なコメントになってしまいましたが、お母さまが苦しまずにいられますよう、お祈り申し上げます。

ヤスさんこんばんは、
「ユマ二チュード」で検索してください。
私は、「ユマ二チュード」を実践してから、父の介護が気分的に楽になりましたよ!
弟さん夫妻に「ユマ二チュード」を教えてあげて下さい。

PS. oininさん、勝手にコメント欄をお借りしてすいません。

こんばんは、実は現在私の母も7月に末期ガンで倒れて、現在病院で介護してます。oininさんの心境が自分の事のようです。。やはり食道が麻痺していて点滴と凍らせた栄養剤でしのいでいます。医者は柔らかいもの、果物でも誤嚥性肺炎がかなりの確率で起すようです。。そして来週からoininさんと同じように、私の弟夫妻が自宅看護に入ります。ホスピスとか他の終末の病院も順番待ちだそうです。私も今回の事で、私みたいな、お一人様は安心して死ねる場所があるのかなって思ってます。そうすると、ロングスティ考えている私も終末のお金も心配になってきました。。。たぶん施設で事務的な看護で死んでいくだろな。。(笑)なんだか病院も手の施しようがないから、さっさと出ていって下さいみたいな感じです、ベットが足りないから仕方ないでしょうが。。世知辛い世の中になりました。
今更ですけど、親子、家族ってすばらしいです。

>セントレアさん
こんにちは。
セントレアさんのお父様は胃ろうを作られたのですね。
母が口から食事を摂れなくなって、私もかなり悩みました。
胃ろうにすれば栄養は確保できる。そしてもっと生きられる。
でも結論、胃ろうを作りませんでした、今でもそれが正解だったのか?よくわかりません。
「長く生きて欲しい」だけど「これ以上苦しめたくない」この狭間で気持ちは随分と揺らぎました。
自宅に戻ってたった2週間でしたが、今思えば、それはとても濃密な時間でした。
子供にこれ以上迷惑はかけられない・・・そんな想いで旅立ったように思えてなりません。

こんにちは、
私の父は、肺炎になって3カ月近く入院したため、身体の筋力が落ちてしまい寝たきりになってしまいました。
脳卒中で左側の食道が麻痺しているので、肺に食べ物が入ってしまい誤嚥性肺炎になったみたいです。
退院後の食事は胃ろうで、夜中は1時間おきに痰の吸引をしました。
一番つらかったのは週2回の摘便でした。
父が楽しみにしていたのは1日おきの訪問入浴で、入浴中は介護士の人たちと笑顔で会話をしていました。
最期は、風邪からの肺炎で亡くなりました。
介護は本当に大変でした。
お母さんは、onionさんに負担をかけないように、親子の時間を過ごしてから旅立ったと思います。
愛する我が子に看取られながら逝けたお母さんは、幸せだった思いますよ!

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