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2017年4月15日 (土)

1年前の記憶~母の人生が終わった日~

思い起こせば1年前。

おいらは、今年と同じように、3月中旬にバンコクから日本に一時帰国していた。
そして野暮用を終えて、そろそろバンコクに戻ろうかと、考えていた矢先のこと。


昨年の今日(2016年4月15日)
母は激しい嘔吐に襲われた。
だけど、その時はてっきり腐った牛乳を飲んだから・・・そう思っていた。
本人もそう言ってた。
「牛乳にヨーグルトを混ぜて飲んだら調子悪くなっちまったよ。」って。
牛乳パックを見ると、消費期限が大幅に過ぎていた。

「何やってんだよ!そんなもん飲んだら、駄目に決まってるじゃん!」
おいらは、母を叱った。

でも、その時はあまり深刻には考えていなかった。
すぐに良くなると思っていた。


その翌日(2016年4月16日)
夜中の11時頃に、「母の様子がおかしい」と兄からの電話。
すぐに駆け付けた時には、母はぐったりと床に横たわったままで、すでに会話も出来なくなっていた。


すぐに救急車を呼び病院へ。

単なる「食あたり」と思っていたのに、「クモ膜下出血」の疑いを示唆された。
はっきりと「クモ膜下出血」を宣告されたわけでは無い。
CT画像を見ても、はっきりとそれとわかる状況では無く、あくまで可能性だ。

嘔吐はあったが、「クモ膜下出血」で良く言われる頭痛の症状は無かった。
だから、おいらはまだ半信半疑。

でも医師からはカテーテル手術を勧められた。
「血管に造影剤を入れて検査しないと、はっきりはわからない。」
「その検査のついでに、併せてコイルを詰めましょう。」って。

医師に言われれば、それに従うしかなかった。


そして手術。
手術は成功した。・・・医師からはそう説明を受けた。
だから、すぐに元気になって、家に帰ってくると思っていた。

だけど・・・。

それは叶わなかった。
そして約6ヶ月後に、母は帰らぬ人となった。
83歳だった。


今も時々思い出してしまう。
本当に母は「クモ膜下出血」だったのだろうか?
あの時に、救急車を呼ばなければ、普通に治っていたんじゃないのか?

それほどまでに、元気だったのだ。

手術を境に、母は大きく変わってしまった。
まともな会話が出来なくなってしまい、母本人も状況を理解できなくなっていた。

「どうしちゃったんだよ、母さん。頭がおかしくなっちゃたのかよ!」
心の中で何度も叫んだ。



今思えば、手術から死ぬまでの6ヶ月は、母はただ生かされていただけのように思う。
自分の意思では何もできなくなってしまったからね。
いや意思さえも無かったかな?

そんなのは人生じゃない!
だから母の人生は、昨年の今日で終わったんだ!
死ぬまでの6ヶ月は、あくまで「おまけ」だ。

よく「健康寿命」と「平均寿命」が、取り上げられる。
日本の男性の場合は、健康寿命は70歳くらいで平均寿命が80歳くらい。
女性の場合は、健康寿命は73歳くらいで平均寿命は86歳くらいだそう。

男性も女性も10年以上は、不健康な期間となるわけだよね。
この不健康な期間の生き方は、健康なうちはあまり考えない。
考えたくもない。
何を持って「健康」とするのか?
定義は良く知らないけど、母の場合は、1年前に倒れるまでは「健康」だったように思う。
不健康な期間は、たった6ヶ月だけ。

この不健康な期間があまりに長いと、家族は疲弊し本人も苦しいはず。
この不健康な期間があまりに短いと、家族は心の整理がつけ難い。

そう考えたら、母の場合の「おまけの6ヶ月」は、ちょうど良い期間だったんじゃないかな。
あんな状態で10年も生きられたら、たまったもんじゃないからね。

あれから1年が経った。
1年なんてあっという間だ。

ただ生きてるだけは、人生なんかじゃない!
自分の意思で生きるのが人生なんだ!


おいらはあと何年、人生を謳歌出来るんだろうか?
1年1年、おいらの人生も終焉に近づいているのは間違いない!

だから「今を大切に生きなきゃ!」って、常に自分自身に言い聞かせている。


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人生について」カテゴリの記事

コメント

>招き猫の右手さん
いかに楽しく暮らすか?考えただけでもワクワクしますよね。
でも、そんな暮らし方をしたくても出来ない方がいるわけで、それはそれで可哀想です。
それと人の生き方に口を挟まれるのだけは勘弁して欲しいです。
まあ、そう言う人は相手にしませんけどね。

働くにしろ遊ぶにしろ、人生は自分の思い通りに楽しくやったもの勝ちです。
グダグダ言う人はその人がうらやましいのでしょうね。

僕も毎日の瞬間を楽しんでいます。

>サムライコボリさん
私もバンコクと日本の二重生活をしていることを中々理解されません。
やれ「もったいない」とか「遊び呆けてる」みたいな見方をされています。
でも、そう思う人にはそう思わせておけばいい・・・そう割り切っています。
人生の楽しみ方も人それぞれですからね。
一般的に見れば「変わり者」かも知れませんが、そんな生き方を知らない方が「かわいそう」に思ってしまいます。
みんな横並びが安心なんでしょうね。
みんな一生懸命に働いて、たくさん税金を払ってくれれば、それはそれで有難いです。
私は我が道を行くだけです。
GWに入る前にバンコクに戻ります。

タイに3か月以上滞在をすると言うと必ず言われるのが「そんなに長期滞在して飽きるでしょ?やること無くてヒマでしょ?」です。(毎年毎回ですが、最近また言われた一言なのですがマジムカツキます。)
私からしたら「1年連続して仕事してると飽きるでしょ?」と思います。と言うかそう反撃しましたけど。
70才過ぎても働いているジジイ・ババァには言われたくないです。555
金の無いお前らと思考回路一緒と思うな!ですよね。
学校卒業して60歳までの40年間長期間仕事して更に70才まで働くなんて・・・懲役50年なんて完全に飽きますし耐えられません。
一億総活躍社会と聞こえは良いですけど政府の本音は「税金をたくさん納めろ」ですから、私は自分の人生において活躍するから政府が強制するな!と言いたい。
そう健康寿命の70歳くらいまで楽しまなきゃ後で悔いが残るだけです。
私も残り人生(健康寿命)16年しかないので「今を大切に生きなきゃ!」って本当に思います。
_
とちょっとグチをこぼしてしまいました。すみませんでした。(汗
oininさんそろそろ出発ですか?・・・私もそろそろ出発です。

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