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2016年10月11日 (火)

なぜ自宅で看取ったのか?

今の時代、約8割の方が病院で亡くなると言う。
一方で、約8割の方は自宅で死にたいんだとか。

さて我が家はどうする?
終末期に入れば、どこでどう看取るかの決断が必要なわけです。

遡って8月中旬のこと、主治医との打合せがありました。
その時の母の状態は、意識はしっかりしている(ただし相変わらず自分のおかれている状況はわかっていない)。
四肢の動きも悪くない。
血圧などのバイタルも上々。
ただし、食事はほとんど摂れないため栄養は点滴頼み(ただし、血管が細く脆いので、この頃から皮下点滴に変わった)。


主治医からの話は、日に日にリハビリや食事摂取がすすまない状況、食事を摂っても嘔吐してしまう現状を懸念して、まずは胃カメラによる検査をしましょうか?の提案でした。
「食事が摂れない原因をはっきりさせましょう。」ってことですね。
その結果によって、胃ろうを造設するとかを判断すればいい・・・。

こちらの返答は「ちょっと考えさせてくれ!」です。
でも考える時間は、長くありません。
本当は母の意向が一番なんだけど、母に判断能力はありませんから、家族が決める必要があるわけです。

ここで私と兄の考え方は違っていました。
私はこれ以上母を苦しめたくないので何もさせたくない考え。
兄は検査をしてはっきりさせた方が良いという考え。

喧々諤々、丁々発止。
兄とは議論を重ねました。

私の一貫した主張は「胃カメラの先に何があるの?」ってこと。
胃ろうの造設?胃の手術?
そもそも胃が悪いかどうかも、わからない状況だからね。
それに今の母さん、薬さえ飲めないんだよ!
仮に原因がわかったとしても、更なる手術とか胃ろうの造設は、母さんを苦しめるだけだってことを、しきりに兄に訴えました。


兄は医者が検査をした方が良いって言うんだから、検査をするのが正しいと信じ込んでいる。
何も手立てをせずに、放置は出来ないという考えです。
そして「お前は冷酷だ!」とも言われました。

元々、兄も母を苦しめることだけはしたくないってことには賛成だったはずだったんだけど、この後に及んで、気持ちが揺らいでいたんですね。
それも仕方のないこと。
端から延命措置はしないって決めていた自分でさえ、悩みましたからね。
どっちが正解かも知る由がありません。


最終的には、兄も私の考えを理解してくれて何もしない決断を下したわけですが、それはそれは難しい選択でした。
治る可能性を排除してしまったわけですからね。

胃カメラの検査はしない。
そんな決断をくだしたら、もう病院にいられる理由が無くなってしまいました。
入院していた病棟はリハビリ病棟。
治療病棟からリハビリ病棟に移って、まもなく3ヶ月が経過する頃でした。


次の選択は、別の病院に移るか?自宅で介護するか?です。
老人ホームなどの施設に移る選択は、ありませんでした。
点滴をしている状態のままでは、受け入れ先が少ないみたいです。

別の病院に移ったところで、治療をするわけではありません。
あくまで点滴だけで、その時を待つだけです。

それならば、一度自宅に帰らせてあげたい・・・。
ここは、兄と意見が一致しました。

自宅で介護するのは容易では無いことも承知の上です。
オムツ交換や食事の提供、24時間介護です。
もちろん介護保険によるサービスを使いながらですが、果たして自分たちで出来るのか?

周りの方たちからは、反対もありました。
大変だから止めなさいと・・・。

だけど、私たちには一縷の望みがありました。
家に帰ることで、いろいろ思い出してくれるんじゃないかと・・・。
食事も摂れるようになるんじゃないかと・・・。

結果、そんな思いも空しく、自宅に戻って約2週間で息を引き取ることになってしまいましたが、自宅に戻った時、母は笑顔を見せてくれました。
母の友人たちも、訪ねてくれました。
「わかる?」の問いかけにも「わかるよ~。」って返事をしていました。

毎日6回のオムツ交換は、やっぱり大変だったし、食べることは出来なくてもちゃんと食事の準備はしなくちゃならないし、食べさせたら嘔吐をしてしまうのは入院していた時と変わらなかったけどね。

たった2週間で逝ってしまったのは、母の最期の気遣いだったような気がしています。
これ以上、迷惑をかけたく無いというね。

たった2週間、されど2週間。
私たち家族と母の友人たちは、それぞれに母と向き合いました。
長くも無く短くも無く・・・。
それはとても濃密な時間で、それぞれが納得のいく2週間だったんじゃないかな?

もし転院していたら、最後は管に繋がれ、血圧や脈拍や酸素量がピッピッピッと表示され、ひときわ大きなピーの音で、「ご臨終です。」の言葉を聞いていたことでしょう。
テレビや映画でよくあるシーンですね。

自宅で看取る時は、そんなシチェーションはありません。
医者も付き添ってはいません。
いつ事切れるかもわかりませんからね。

それはいつもと同じ朝でした。
母の呼吸が荒いことを除いては・・・ね。

機械音では無く、庭から聞こえる小鳥のさえずりと、外からは学校に向かう子供たちの元気な声。
そんな自然な音を聞きながら母は逝きました。

83歳の生涯、お疲れ様でした。
私は上手に看取ることが出来たでしょうか?
どのくらい苦しかったですか?

まだまだ感傷に浸っています。

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コメント

>ぶりおさん
看取りもいろいろですね。老衰での看取りが一番穏やかに思えますが、中々そううまくはいきませんもんね。
最後は看取る側が後悔しないこと。これが一番かな~。
そのためには、生きている時の関わりが大きく影響しますよね。
お父様の最後の言葉「ありがとう」は、看取る側にとってはとても嬉しい言葉ですね。
母の最後は何もしゃべることは無かったけど、自分としては満足いく看取りだったので、母さんも喜んでくれたことでしょう。
そう、あとは残されたものが仲良くしていくこと。それが母さんにとって一番喜ばしいことですよね。

私も父親を2回亡くし、1回は37歳の時に看取りました「母が再婚のためです」
あっ! 先のコメント名無しで出してしまいました
ごめんなさい

2人目に亡くなった父は癌でしたのである程度意識があり最後まで死にたくないとは言ってましたが最後の言葉は「ありがとう」だけでした
腹水が溜まってしまいあまりうまく喋れない父の絞り出した言葉でした

お母様も見とっていただいたのは嬉しかったと思います
あとは残った親族の方々が仲良く楽しく行きていけることがお母様も喜ばれると思います

>サムライコボリさん
どう看取ってあげるか?看取りの覚悟があっても、たびたび心が揺れました。
これって、関われば関わるほどに気持ちの中で複雑な心情を生み出します。
もう少し生きてほしい。だけど、もう充分だから・・・。
そんな気持ちが延命措置を施すかどうか悩やませます。
今の医療は、生かそうと思えば延命も可能ですが、それが果たして本人のためなのか?
自問自答しながらの決断です。そして一番悩ましい部分でもあります。

みんな人は一度は経験するするんですよね。看取る側そして逝く側。
私はまだ子供の頃に、祖母を老衰で自宅で看取りました。
そして18歳の時、父をcancerで病院で看取りました。
この2度の経験が今さらながらに思い出されます。
苦しみながら痛みを感じながら生涯を終えるのは本人はつらいでしょうから、
苦しまずに逝くのが理想ですね。


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