« さすがに腹が立ったので、ひとこと言ってやった。 | トップページ | タイ人と巡る素晴らしき国、日本(5) »

2016年6月 3日 (金)

問題はどうやってバンコクに行く時間を作るかだな。

母の容態から見て今は「死」の覚悟は薄らいだものの、「介護」の心配が頭をもたげています。
介護なんて今までしたこと無いし、どれだけ大変な事なのかも良く分かっていませんが、かなりハードになるだろう事は想像出来ます。

最近、家族で退院後の介護について、現実的な話しをするようになってきました。
在宅介護にするか?施設に預けるか?とかね。
結論は、「どういう状態で母が退院してくるかによるね。」で終わってしまうんですが、今は選択肢を出し合っているところ。

家族と言っても自分は独身なので家族無し。
自分以外は兄夫婦と姪っ子が二人。

兄夫婦は仕事をしているし、姪っ子はあてに出来ません。
時間がたっぷりあるのは、すでにリタイア済みの自分だけ。
だから結構、頼りにされちゃってます。

頼られると頑張ってしまうのが自分の性格。


だから母が倒れてから毎日病院に通っていますし、介護保険の関係など諸々の手続きや、医師とのやり取りなど、病院関係のことは自然と自分の担当になっています。

それもすべて自分が望んでしていることなんで頑張れます。

最近、母のことを考えれば考えるほど、自分の人生を重ね合わせてしまいます。
自分を生んでくれた母。
もちろん覚えてはいないけれど、自分が赤ちゃんだった頃、まっすぐ育つように、愛情を注いでくれたことでしょう。
だから今の自分がいます。

今度は自分がそのお返しをする番です。
人は必ず死にます。
母は、いつどのように死を迎えるかまだわかりませんが、その日が来るまで育ててくれたお礼をしなければなりません。
「育ててくれてありがとう・・・。」の気持ちを込めて介護に向き合います。
母には、その時間を与えてくれたことに感謝です。

健康な時は、それがわかりません。
母が倒れ、死と向き合った今、それにようやく気がつきました。

バンコクから帰ってきて起こった数々のこと。
すべて偶然では無く、必然だったんだって・・・。

突然会社を辞め、昨年の11月から本格的に始めたバンコクと日本の二重生活。
すべて自分勝手な決断でした。

4ヶ月バンコクで暮らして、日本に一時的に帰ってきたのが今年の3月のこと。

日本に帰国していろいろなことが待ち受けていました。
ここにも書いたように、自分の帰国を待っていたかのような叔父さんの突然の死。
それと従兄の癌宣告。
悲しい事はこれだけと思っていたのに、極めつけが今回の母の病。

すべてが、自分の日本帰国中に起こりました。

これって、単なる偶然で片付けられません。
「みんな、自分の帰りを待っていてくれたんだ!」
そんな感じがして仕方ありません。


母に至っては、日本でしなきゃいけないことを一通り片付けて、5月中旬か下旬にはバンコクに戻るつもりで、エアチケットの仮予約(キャンセルしても違約金発生なし)まで済ませた矢先のことでしたからね。

「まだバンコクに帰らないで!」
そんなことを母に言われているようで・・・。

自分が定年を待たずして会社をリタイアしたのも、バンコク暮らしを実現するため。
でもバンコクで何をしたいのか?
答えは出ていません。
この答えは、バンコク暮らしをしながら見い出すつもりでしたからね。
だから今は自由きままな生活を満喫してたのに・・・。

そんな時に突然襲った母の病。
そして、現実になりそうな母の介護。

自由気ままな生活にNOを突き付けられてしまいました。
「人生そんなに甘くないよ!」ってこと。

だけど・・・。
介護を優先させながらも、どうやってバンコクに行く時間を作るか?
それが問題なんだよな~。

「親孝行」って言いながら、今はそんなことを考えています。w

「納得行く介護」と「自分を犠牲にしない生き方」
この両方は、絶対実現しなきゃ!

キーワードは「後悔しないこと!」・・・です。

-


にほんブログ村

スポンサーリンク

スポンサーリンク

« さすがに腹が立ったので、ひとこと言ってやった。 | トップページ | タイ人と巡る素晴らしき国、日本(5) »

想い」カテゴリの記事

コメント

>とむさん
初めまして。そしてコメントありがとうございます。
母の老後をどんな形で向き合うようになるのか?漠然とは考えていても健康なうちは、あまり考えたくないものですよね。
でもその時期は確実に来る・・・。それを今実感しているところです。
母が元に戻って健康な体に戻ってくれれば一番いいんですが、おそらく難しいことだと思っています。
そうなると自分がバンコクで自由に暮らせるようになるのは、母の死を意味することになりそうです。
当然にそれを望むべきことではないので、しばらくは複雑な感情が入り混じって暮らして行くことになりそうです。
ただ、これも自分の人生です。悲観することなく、今を楽しむつもりです。

初めて訪問させてもらいました。
私も50歳過ぎのリタイア組み、独身、母は81歳。
幸い母は元気で、私とバンコクで長期滞在していますが、母の将来を考えると他人事ではないと思わされました。

「育ててくれたことに対する恩返し」
とても説得力ある言葉です。
私もそのような気持ちになるでしょうが、子育てと違い、介護は終わりが見えない不安と大変さがありますよね。
先のことを考えると複雑な気持ちです。
たくさんの思いがこみ上げてきて、書ききれません。

今はブログ主さんのお母様が、手のかからない状態にまで戻る事を願っております。
そして、またバンコクで自分の時間を取り戻せることを、、、、。

>招き猫の右手さん
最終的には思いの強さでしょうね。今はバンコク暮らしよりも母の介護と向き合うことが優先順位として高いですが、介護にも慣れてきたら、おそらくバンコクにも行きたくなるでしょう。
だって、バンコク暮らしをするために会社を辞めたわけですからね。
いろいろ考えて結論を出します。

僕も子供がおらず、兄には子供が二人して仕事もしているので、まさに同じというか、そういう状況が来たら僕がほとんどやるような気がしています。
でもだからといって自分のことは何もできないってのもおかしいですよね。
なので1年のうち1ヶ月とかある程度の期間くらいは「休み」をもらってバンコクに行くのもアリでしょうね。
その間くらいは介護は他の人にやってもらうとして。

>ユーサンさん
島田裕巳さん、知らなかったのでちょっとググってみました。
「もう親を捨てるしかない」衝撃的なタイトルですね。
内容は「自分を犠牲にしてまで、親の面倒を見ることは無いよ!」ってことなのかな?
「親の犠牲」って考えたら、介護なんてやってられないでしょうね。
あくまで「自分の気持ちはどうなのか?」で結論を出すしかありません。
そんなことを考えていたら、自然と優先順位が見えてきました。
今はその優先度が「バンコク暮らし」より「母の介護」が高くなっているわけです。
イヤイヤ介護をしていたら、破綻するのは見えていますからね。

家にもワンちゃんが居るのですが、そういう問題も有りますよね?
いずれにしても兄弟で相談、協力しながらって事なのでしょう。
折り合い、時期、暫くは考えどころですね。
宗教学者の島田裕巳さんの本が話題になってる様なので読んでみようかと思っています。
賛否両論あるようですが・・・。

>ユーサンさん
やっぱり今の状態では、バンコク暮らしを再開する気にはなれませんね。
このままバンコク暮らしを再開したら、親を見捨てるような気になってしまいます。
さすがにそれは出来ません。
それでも、自分の楽しみを犠牲にしてまうのも抵抗があるので、その折り合いをどうつけるか?
結構難しいです。
母が退院して介護にも手がかからなくなれば、自分も2週間から1ヶ月程度のバンコク行きを繰り返し実現させるつもりです。
でも、それがいつになるやら?・・・です。

確かに退院後の様子を見ながらって事なんでしょうね?
私の場合も色んな事を考えると数年後にセミリタイアしたとしても、母が生きてる間は中期旅行者でしょうね。
1週間程度だとあっと言う間ですが、2週間から1カ月程度有れば充分楽しめるかなと思っています。
母も自分が死んだ後は、あなたの好きなようにすればとか言っております。
でも本当にどうなるかは実際にそうなってみないと解りませんが・・・。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 問題はどうやってバンコクに行く時間を作るかだな。:

« さすがに腹が立ったので、ひとこと言ってやった。 | トップページ | タイ人と巡る素晴らしき国、日本(5) »

フォト
2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30