その時、母に何が起こったか?(3)
クモ膜下出血の術後の経過は良好、近々リハビリ病棟に移しましょうとの話しもあって、昨日、母はリハビリ病棟に移りました。
治療棟では個人部屋だったんですが、リハビリ棟の病室は4人部屋。
今までは気兼ねなく付き添も出来たんですが、今度は付き添い時間も徐々に減らして行こうか、考えているところです。
ただ、懸念が無いわけではありません。
出される流動食の食事もほとんど取れず栄養は点滴頼みだし、周期的に熱も出ます。
意識障害や水頭症など、気になることだらけですが、医療に関して素人が口を出してもしょうがないので、病院の判断に任せするしかありません。
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話しは遡って、前回記事の続きです。
4月18日(月)の午前中のこと。
手術を嫌がる母をなだめ、手術室に向かったのが10時30分。
そして手術室を終え、部屋に戻ってきたのが13時30分頃。
約3時間に及ぶ手術でしたが、とりあえず無事に戻ってきてくれたので一安心です。
全身麻酔による手術と聞いていたので、高齢の母がそれに耐えられるか?
やっぱり不安でしたからね。
そして術後、執刀医から説明を受けました。
2ヶ所発見されていた動脈瘤のうち、出血が認められた1個所にカテーテルによるコイル詰めを施術。
もう1個所の動脈瘤については、さして問題がなさそうとのことで、とりあえず施術せず。
頸動脈の1個所が50%ほどに狭まっているとのことでしたが、こちらも様子見で良いとのこと。
今後の心配は脳梗塞リスクとのこと。
脳梗塞については、術後2週間以内が一番危険な時期だそうです。
母の場合は4月18日の手術でしたから、2週間後は5月2日。
その日までは、何が起こってもおかしく無い・・・。
家族としても、一番落ち着かない時を過ごしたわけです。
一方、医師からは「上手く回復すれば、ゴールデンウィーク前には退院出来るかもしれませんよ!」と、嬉しい言葉もいただいていました。
今となっては、それもぬか喜びだったんでしけどね。
母は手術したすぐは、麻酔の影響で意識も朦朧としていましたが、徐々に話しも出来るようになっていました。
ただ、腕は点滴をしているのと、足の付け根からカテーテルを挿入されたため、手足が拘束され自由が利かなかったので、手術当日はやっぱり辛そうでした。
それに熱もあり、頭も少し痛いと訴えていましたしね。
それと、面会時間も過ぎ、我々が帰る時は、一緒に帰りたいと・・・。
こちらとしても辛い。
でも、手術も上手く行き、意識もしっかりしていたので、これからどんどん良くなるとばかり思っていました。
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そして次の日。
術後2日目です。
医師から順調に推移しているとの説明を受け、安心したのですが・・・。
会話に不自然なところが出て来るようになりました。
「買物に行く!」とか言いだすし、どうも今のおかれた状況が理解出来ていない様子。
この日からリハビリも開始されたんですが、立ちあがることが出来ません。
それにリハビリ師からの問いにも、トンチンカンな返事をするように・・・。
熱を測ると、39度近くあり、とりあえず熱のせいなのか?
術後の影響であることは間違いないのでしょうが、たった1日で安心から心配に変わってしまいました。
そしてそれ以降、微熱が続き痰も絡むようになって、痰吸引をされる頻度も増していきました。
痰を自分で出せないと、吸引するしかない。
しかも吸引しないと、肺炎になってしまうんだとか・・・。
この痰吸引、見ているのがとても辛いです。
口や鼻から、強引に管を突っ込まれて、痰を吸引するもんだから、ものすごく苦しそうです。
「もう、やめてあげて・・・!」
そんな言葉は飲み込んで、看護師に協力して母を抑えつける自分がいます。
「ゴメンよ!」
「すぐに楽になるから・・・。」
それを言うのが精いっぱいでした。
■
だけどその甲斐なく結局、母は肺炎を発症。
点滴には抗生剤が増え、今度は熱と咳と痰吸引に苦しめられることに・・・。
この肺炎も曲者で、一度治ったと思ったら再発したりと、意外とやっかいです。
それに加え細菌性の下痢も発症したりして、この頃は「死」を現実のものとして受け入れるようになっていましたね。
ゴールデンウィーク中に葬式か?
病と闘っている母には申し訳ないが、そんなことまで考えるようになっていました。
それだけ、次から次へといろいろなことが襲ってきましたね。
そんな不安な日々を過ごしながらも、なんとか今に至っています。
毎日が一喜一憂の連続です。
熱が下がったと思ったら、また熱が出たり・・・。
話しが出来る時があれば、まったく出来なかったり・・。
意識レベルも差があり、家族の名前を覚えてる時もあれば、誰だかわからない時もあったりしてしてね。
笑っちゃうのが、いつでも覚えているのは「犬」の名前。w
「家族の名前より犬の名前かい!」そんな突っ込みを入れられる余裕もでてきました。
とりあえず、一通りの治療を終えてリハビリ病棟に移ったわけで、あとは母の回復力に願いを託すしかありません。
そして、これからは現実味を帯びてきた「介護」と真剣に向き合います。
介護認定を受ける為の申請をして、調査員にも母と面談をしていただきました。
調査員の質問には、こちらも笑ってしまうほどのトンチンカンな返答をしていましたけどね。
例えば・・・。
調査員「今の季節は何ですか?」
母「まだ冬だよ。」
調査員「ここはどこですか?」
母「ここ? うちです。」(病院にいるのに・・・。)
とかね。
ひと月ほどで、要介護のランクも決まるとのこと。
そのランクによって受けられるサービスが違ってくるらしい・・・。
「介護」については、まだまだ勉強中ですが、いろいろなサービスを受けながら、自分を育ててくれた母への恩返しのつもりで、介護にも向き合って行きます。
それにしても、トンチンカンな話しをする母の頭の中。
いったい、どんな状態になっているのでしょう。
つくづく人間の体の不思議を垣間見ているところです。
だけど・・・。
あ~、バンコク暮らしが遠くなって行く。
でも、今のままの状態でバンコクに戻るわけには行きません。
しばらくは、会社勤めをしていた時のように、旅行としてバンコクに行くようになるのかな?
う~む、それも辛い・・・。
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>ユーサンさん
今は母の近くにいてあげることが、親孝行だと思っています。
ずっと親孝行らしき事をしてこなかったので尚更です。
あくまで自己満足なんですけどね。
母親に聞けば、きっと「バンコクに行ってもいいよ・・・。」って言ってくれるはずですが、今の状態でバンコクで暮らしても落ち着いてられないのはわかりきっているので、しばらくは辛抱です。
「自分の人生」ですが、やっぱり自分勝手には生きられません。
投稿: oinin | 2016年5月30日 (月) 21時32分
色んな事が一段落するまでは、動けないと言うか、決められないと言うか?
何とも複雑な心境お察し申し上げます。
でもoininさんの人生も有る訳ですし、子供の幸せが親の幸せでもあると言う事も有りますから。
後は「なるようになる」って事でしょうか?
投稿: ユーサン | 2016年5月30日 (月) 18時01分